『二月の勝者』に思う

久しぶりに『二月の勝者』を読み返して、中学受験生だった頃を懐かしく思い出した。
特に自分の心を打ったのはカリスマ塾講師・黒木蔵人が成績優秀な生徒・花恋に向かって言った以下の台詞である。

 

「なんで『勉強ができる』て特技は『リレー選手になれた』とか『合唱コンクールでピアノ弾いた』とかと同じ感じでほめてもらえないんだろうね?」

 

『二月の勝者』という漫画を信じることに決めた忘れがたい台詞である。

 

そもそも、中学受験というものは悪者扱いされがちだ。小さな子供が勉強漬けなんてかわいそう、子どもには他にもっとやることがあるはずだ、ガリ勉は人間としてつまらない…そんな風に言われることが多い。とかく、勉強は苦行であり人格形成に悪影響を与えるものという見方が幅をきかせている。

 

だが、新しいことを学ぶことが好きで、学校の勉強では満足できず、塾で勉強することを遊びのように楽しむ人間もいるのだ。黒木の言う通り、なぜ「勉強ができる」という特技だけは冷ややかな目で見られるのだろう。スポーツの好きな子がスポーツで頑張るように、勉強の好きな子が勉強で頑張ることもあってよいはずなのだ。

 

かくいう私がそういう人間だった。花恋ほど優秀ではなかったが勉強は得意なほうだったし、新しいことを学ぶことも好きだった。だが、通っていた小学校はスポーツの盛んな学校であったため、運動能力がそのままクラス内ヒエラルキーになり、逆に勉強という特技は評価の内に入らない傾向があった。そのため、運動が苦手で勉強が得意だった私にはとかく居心地が悪かった。6歳から12歳までをそう悪くなかったなと思えるのは他ならぬ中学受験塾のおかげである。塾では勉強が出来るという特技が尊敬され、知的好奇心のあることは「変人」ではなく「できる子」の証として受け止めてもらえた。浮かないために、変人扱いされないために、知的好奇心を隠す必要もなかった。中学受験塾は私を私のままでいさせてくれた場所であった。

 

自分が中学受験生だったころの気持ちを思い出させてくれたこの台詞で、私はこの漫画を、黒木先生の旅路を追い続けることに決めたのだった。